【じとずの視点01】テレビから分かったお爺ちゃんの尺度


jitozu_grandpa
私は、祖父母に育てられた。
おじいちゃんは、いつもコタツに入り、正面のTVを見ていた。

TVで見るものは、だいたい決まっていた。
夕方には相撲、
夜は野球、
休みの日はマラソン

子どもながらにつまらんのうと思っていた。

なぜなら、テレビに動きがあんまりナイからだった。
あるにはあるが、そんなに大きな動きは、ない。

テレビの中の構図が同じというか、ちょっとしか動きしかない。
そう、思っていた。

相撲なんて、向かい合って、ハッケヨイ、組んでも、すぐどっちかが転ぶだけだし、
野球なんてほとんどピッチャーの向こう側にバッターがかまえてるだけだし、
マラソンなんてただ走ってるだけだった。

一緒にコタツに入っていても、間が持たない。
というか、すぐに飽きてしまった。

ようするに、子どもは、派手が好きなんだ。
動きもドカーンと、ズババババと、シュシュシュと
音もピロピロして、ズバーンと、

じっとしてられない。

でも、最近分かるような気がする。
おじじたちは、ほとんど動かないような中での『小さな動き』が面白かったのだと。

それは『ちいさな変化』とも言える。

その証拠に、おじさんになると急に花なんかが好きになるし、
盆栽なんか、ほぼ動きないしね。
中には、250年モノとかかれた盆栽とかも見た事あるしね。

もう、止まってるもんの方が好きになるのかもしれないよ。
と、それは言い過ぎたけど、
そのぐらい『モノの見方』が“くろうと”だったんだなと思う。

きっと、大きくなるにつれて、大概の面白さを体験しつくして、
ちょっとやそっとじゃ、面白いと思わなくなって、
超越して辿り着いたところに、

『少しの変化の面白さ』があるのじゃないか…と。

いやはや、恐るべし。おジジ。

自分が爺さんになったら本当のことが、わかるんだろうなぁ。