雑記

【移住】突き詰められた天災や子ども『問題』が結果的に私たちを幸せに導いてくれた。

【移住】突き詰められた天災や子ども『問題』が結果的に私たちを幸せに導いてくれた。

コロナという問題。そのメリットとデメリット。

コロナになって、自粛が進み、今まで以上に動けなくなってしまった人がいるのではないでしょうか。

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・動き出そうとしていた人。

・いつかのための準備をしていた人。

・起業や新しいチャレンジをしようとしていた人。

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そういう人たちが、踏みとどまりざるを得ない状況を、コロナが作ってしまった。

 

一方で、仕事漬けだった人々が『自粛』や『ステイホーム』、それから『自宅ワーク』を体験するようになって、これまでの通勤ラッシュ(満員電車)や、会社での仕事のあり方、付き合いや飲み会や接待。

そのほとんどが、しなくても済むものだということに、気が付いてしまってかつての日常に戻りたくない人までもが、現れている気がします。

たまたま突然に、大きな壁が立ちはだかって、これまでの日常や生活を見直さなければならない。そういった事が、これまでにも起こったはずなのに
まだまだ対岸の火事だったのではないだろうか。
それが今回のコロナ騒動では、全人類に等しく、一律に問題となって降りかかった。流石に生きている間に経験した事のなかった事態が、起こったのです。

かつての日常に戻って行く前に、今後の在り方、生き方、人生、幸せ、働き方、などについてもう一度、考えてみる事を提案したいのです。

私たちにとっての転機は、3.11だった

運良くというか、運悪くというか、コロナのずっと前の3.11がきっかけとなり、たまたま、そういう境遇にあったことで、人生をシフトした経験が、私たちにはある。

私たち自身を大きく変えたのは、

  • 3.11(東日本大震災)で起きた原発事故に伴う『放射能』や『放射線』の影響。それに伴う疎開的決断。(旅路と生活)
  • その後に授かった子どもの事。

この2つの大きな出来事によって、人生を大きくシフトしました。

そのシフトが移住という選択でした。

つまりそれは、子どもが私たちの環境をいい方向に変えてくれた訳でもあります。

結果的に『移住』は、私たちに、たくさんの幸せを教えてくれる事になりました。

幸せの基準

『幸せ』というベクトルは、人によって異なるのでしょう。だけども、多くの人にとっての『幸せ』には、共通する事があるのも事実だと思うのです。

もっとも根源的な『幸せ』は、何だろうか。

私は、家族といる事だと思うのです。

『家族』にも、定義がいくつかありますが、ここでみなさんと共有したいことは、家族というのは、もっとも信頼できるパートナーと、その家族。といえるのではないか。という事です。

私のケース

私自身、はたから見れば『超』がつくほど、可哀想な条件が、かつての暮らしには揃っていました。

書き出してみるとこのような感じです。

  • 生まれた時には、両親が離婚している。
  • 物心ついた時には、祖父母に引き取られている。
  • 小学2年生の頃に、実父が死去。

条件だけ見れば、絵に描いたような『孤立ストーリー』で、劣悪系優等生に感じますが、
とはいえ、二十歳になるまで、私自身、幸せに生きてこれました。

それが私にとっての『普通』だったわけですし。何よりも、祖父母に救われたからですし、親族のサポートもあったからです。本当に何も問題がなく、すくすく育つ事ができました。

十代で、別居していた実の姉と母と一緒に暮らすことになり、その事が運悪く、問題にはなってしまいましたが、高校卒業と同時に家を飛び出してからは、ほぼ自立する事ができました。(せざるを得なかったのですが、周囲のサポートのおかげで生き延びられました)

そんな、私が、いつの日か、自分の家族を持つとは思っても見なかったのです。婚期は、遅い方だと思いますが、それは突然にやってきました

それが、ご縁というものなのかもしれません。
その後、有り難く子どもも授かり、自分が『親』という存在になる事ができました。

ここで初めて、『幸せ』のベクトルが、大きく向きを変えた気がするのです

子どもと暮らすことで、理解できる事がある

自分の経験を棚に上げて見下ろしているわけではありません。もちろん、多様性が大事なのも理解できます。が、あえて、声をあげたいのが、『子ども』を暮らすことの有り難みです。

『子どもができない人もいるんだから』そうですよね。当然、いろんな理由がある。当然、子どもは一人ではできないわけで。(里子という手もある。)
だからこそ、できる対策は、若いうちから、学んでほしいと思うのです。

私は、たまたま授かる事ができた。そして、その経験から、多くの事を学ぶ事ができたし、何なら、子どもを持つ事、育てる事、それ以外に、その事を超える存在意義はないかもしれません。

こんな事をいうと、またまた『偏りすぎ』と、炎上を起こしそうですが、
多分、この答えは、人間の本能的な答えですし、本質そのものだと思うのです。

 

これ以上に、素晴らしい事に、巡り会えない

私自身、自分を疑いたくなるような、気持ちが込み上げます。
こんなにも『感動する事があるなんて』『こんなにかわいいと思えるとは』
そういう感情が、湧き起こります。

それが、『子ども』という存在です。

大抵の事が、子どもよりも大切じゃなくなる。

つまり、それ以上のものは、はっきり言って、大した事ない。のです。
簡単に言ってしまえば、それが真理です。

仕事も大事です。でも、極論は、代わりはいくらでもある。自分の代わりだっていくらでもいる

もちろん、仕事は大事です。が、子どもと暮らすことで、分かることは、優先順位があるという事です。

これが分かると、実は、仕事も大切にする事ができるようになります。

反対の事を言うようですが、大切なものが分かると、その大切なものを守るために、仕事を頑張ろうという思考ができます。

 

でも、現代が狂っているのは、お金に支配されているシステムがすでに作られてしまっている。からだと思うのです。

働かないと、お金がない。お金がないと生活できない。
このことをないがしろにするつもりは、毛頭無いのですが、順序が異なるとマズイな。と思う事がたくさんあります。例えば、

単身赴任。

いまだに解らない、考え方です。

家族と生活する事が、本来、一番の幸せのはずなのに、お金を優先するために、仕事場が離れてしまう問題。おそらく、多くの人が気づいていながらも、何かと理由を見つけて、言い聞かせてしまっている。

多様性という言葉は、都合よく、利用できるかもしれないですが、これこそ本末転倒な気がしてならないと思うのです。

たくさんの条件の中で、どれを我慢するか。という選択だと思いますが、常軌を逸脱してると思えてしまうのです。

期限が決まっていれば、良いとは思うのですが。

人生は長いようで、短い。

子どもが『死』について、怖がる時期に突入しました。自分の幼い頃にも、すごく不安に感じてしまって、眠れない時期があった事を思い起こします。

最近、子どもに「死ぬの?」とよく聞かれます。笑

そして、「怖い」とも口にします。

実際、怖いですよね。

あなたが、子を持つ世代だとして…

あなたが、あなたの親と一緒に暮らせるのは、あと何年だと思いますか?

そもそも、親がいつまで生きるかも分からない。

そういう人生の中で、親を故郷に置き去りにして、自分達だけが核家族化して、都心に住まうこと。

私には、信じなれない。(つい8年前までは、自分も全く気がついていなかったのですが)

子どもの生と死が教えてくれた事

私は、たまたま、子どもの生によって、いろんな思考を持つ事ができなたのですが、もう一方で、子どもの死についても、残念ながら、体験してしまいました

その事が、死生観、生き様、生き方、人生、そういったものに、
強く、鋭く、敏感になる事ができたのです。

だからこそ、言えるのですが、自分たちが、親から離れて暮らすことや、子どもだけが離れて行くこと。単身赴任、あとは、ルーツから離れた事を追い求めて行くことの、不自然さ。

そういった選択の、ものすごく、残念な事を、素直に感じてしまう。

もちろん、私のように、すでに自分が誕生した時には、すでに両親がいないケースや、ある日いきなり両親が訣別してしまう事、事故や天災で泣き別れてしまう事。いろんなケースがあるわけですけれども、そういう急展開を無くした時に、自分の都合で、離れてしまうことの勿体無いなさ、つまらなさ。

正直、勿体無い人生です。

自分もルーツの一つの部品(パーツ)

殺してしまいたいほどだ…という親で無い限りは、残りの人生を一緒に暮すのは、自分のお手本になる最大の生き方になります。

自分が想像もつかない『老い』に対する、予行練習を、親世代と暮す事で、実際に体験する事ができます。

それから、これは副産物だったのですが、親世代のこんな『笑顔』を知りませんでした。

それは、孫と暮す事で向けられる『笑顔』

子どもという存在でも、すでに私は、可愛くてしょうがないのですが、これが『孫』ともなると、異次元級に可愛いのだろうな。と、やりとりを見ていて気がつくのです。

もう、それだけで、一緒に暮らしていることの価値があります。

私たちのケース

ありがたい事に、我が家は、4世代で暮らしています。

つまり、妻のおばあちゃん。も健在なのです。なので、私たちの子どもは、ひいおばあちゃんと同じ屋根の下で暮らしている事になります。

それだけの数と、世代が暮らしていると、
そりゃあ、問題もあるわけですが、それは『幸せ』と天秤にかければ、たわいも無い話です。

皆さんにも、たくさんの事情があることは理解できるのですが、できる可能性があるのならば、家族と共に暮す事を、人生の中心に置く事をオススメします。

いなくなってから気がつく事がたくさんありますが、それでは、遅すぎます。

 

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