私たちが体験した『人生で一番の不安と悲しみ』

2012年12月4日

20121204_人生で一番の不安と悲しみ
タイトルにあるような事が、今起っています。
突然の報告で失礼いたします。
どういう方法で周囲の方々にご報告するのがよいのか、
すごく悩んだのですが、BlogやSNSを通してのご報告をはじめの一歩とさせていただくことにしました。
ぼくも妻も、今は、なかなか立ち直れるか分からない不安と悲しみの中にいます。
今後、みなさまと直接お話できる機会があるかも知れませんが、
その機会の前に、みなさまにご報告できれば、ダメージが最小限になるのではないかと判断したためです。
今後の僕たちの回復には、周りのみなさまの力が不可欠だと思っていますので、
今後ともよろしくお願いいたします。
また、この度は、私の急な不在により、たくさんのプロジェクトに多大なご迷惑をおかけし、
本当に申し訳ございませんでした。プロジェクトの関係者のみなさまには、ご理解をいただき、本当に助けていただきました。回復にはもう少し時間がかかりそうですが、もう少しだけご理解を賜れればと思っております。
引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。
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先日、妻の実家へ帰郷していました。
里帰り出産のために長らく生活の拠点を実家に移している妻と娘に会うためです。
予定日を約ひと月後に控えたぼくらは、楽しいひとときを過ごしていました。
しかし、突然、妻の様子が急変しました。
実家の周りを散歩していた時です。
破水したまでは良かったのですが、出血を伴っていました。
すぐさま、実家へ戻り、妻は自ら、かかりつけの病院に電話をし、指示のもと急行しました。
僕が運転し、義母が付き添い、妻を乗せて車を走らせました。
長女を出産した時の記憶が蘇りました。
僕がいる時で良かったな。などと思いながら、
このままの様子だと明日には産まれてるだろうと心が踊っていました。
病院に着き、妻を先生に託すと、
仄かな緊張が少し溶けて、僕と義母は気持ちを高ぶらせながら、廊下で待っていました。
しばらくすると、先生が廊下へ出てきました。
その真剣な面持ちから、緊張が舞い戻ってきたのを憶えています。
『もしかしたら、子どもが危ないかもしれない』というのです。
『このままではお母さんが危なくなる』
『総合病院に搬送するかもしれない』
『搬送するのに時間が掛かり過ぎる』
『ここで手術して、子どもを取り出します』
先生は、妻の主治医を呼び出したり、総合病院への連絡を取り合いながら、
時間のない中で、説明をすると、すぐに手術室の中へ入っていきました。
この時の時間は、自分が生きている心地がしなかったし、
待っている時間が本当に長く感じました。
次に聞いた先生の言葉で、完全に血の気が引いたのを憶えています。
『なんとかお母さんの方は救えたはずですが』
といわれた後、
『お父さん、中へ入ってください』といわれました。
そこには、取り出された息子が、
真っ白な状態で心臓マッサージを受けていました。
1・2・3・4…というかけ声が反復していました。
泣き声もなく、身体も微動だにせず、医師の行うマッサージの反動で身体が揺れているだけでした。
その後駆けつけたレスキューの人による指揮で現場の雰囲気が一変しました。
心臓を動かす薬を投与して、マッサージを続けながら総合病院の方へ救急車で搬送することになりました。
妻の容態を全く知らないまま、義母に託し、僕は息子について行くことにしました。
それからの時間は、本当に浮遊した時間でした。
ドクターから話を聞けたのが、4、5時間後だったと思う。
まだ名前をつけていない息子でしたが、
書類では、事務的に子どもの名前を書くように促されたり、
待っている間に、へその緒だけが手元に届いたりして、
順序だてて考えることができない時間だった。
その後、心臓が少しずつ回復し、自分の力で鼓動するようになったという。
しかし、依然厳しい状態であることなど、嘘のない説明をドクターから聞くことになった。
この時、初めて妻の病名を聞いた。胎盤早期剥離。
説明の取りこぼしがないよう、僕を迎えにくる妻の両親にも、
再度話してもらえるようにドクターにお願いした。
自身が意外と冷静であったことにも驚いたが、すべてがすでにパニックであったので、備えた。
妻の元へ戻れたのが、午前2時過ぎだったと思う。
『命』というものが、どういう定義でかたちを成すものなのか…
この場では議論できませんが、
息子は数日が経った今も、意識不明の状態でいます。
妻は、手術後に驚異的な回復を見せて、今は安心できるほどの状態になり、
つい先日、退院することができました。
僕は明日から、一度、会社に復帰します。
まだ不在になることが多く、ご迷惑をおかけすると思いますが、
よろしくお願いいたします。

今後の報告もこの場でしていきたいと思っております。
息子の回復をお祈りいただければ幸いです。
しばらくの間、妻はなかなかみなさんに返答するのが難しいと思いますので、
何かありましたら、僕の方にお願いいたします。

2012年12月20日

20121220_人生で一番の不安と悲しみ_02

[前回からの続き]

皆様には、ご心配をおかけしていたにも関わらず、ご報告が遅くなったことをお詫び申し上げます。
引き続き、このカタチでのご報告をさせていただこうと思います。

それから、たくさんの激励メッセージを、本当に本当にありがとうございました。
みなさんがくれたメッセージの数々は『元気玉』のようでした。
元気玉が実在してくれたら…と本当に思いました。

久しぶりに連絡をくれた友、
祈ってくれた友、
お守りをくれた友、

またDMをくれた友、
電話をくれた友、
かたくなにそっと沈黙してくれた友、
その全ての友に感謝します。
(なかなか、全てに向き合えていなくて本当に申し訳ありません)


以下は、この数週間の間にあった経過についてのご報告です。

なかなか簡潔に書くことができないので、少し長くなってしまいますが、お話できる範囲でできるだけ全てを報告したいと思います。

私たちは息子が搬送された翌日に『望(のぞむ)』と命名しました。
それまで、幾度となく提案してきた名前の候補案を差し置いて、この名前に託しました。

診断された病名は、『重度新生児仮死』というものでした。

それは、NICU(新生児集中治療施設)に搬送された中でも、最も重度の症状でした。

意識不明で、目も開けられず、動くこともせず、自力での呼吸もできない。
心肺停止の状態から蘇生され、心臓だけが唯一望自身の力で動いている機能でした。
それでも、ドクターの話からは僅かな光を受け取ります。
・確かなことは検証の結果がでなければ分からないこと
・母乳が回復に役立つこと
・赤ちゃんは成人とは違って失われた細胞をカバーすること

望(のぞむ)の由来もここにあります。

僕らは特別に24時間の面会が許されました。
後日搬送入院した妻が、自分の回復がままならない中、わが子の面会をする姿は切実なものでした。
毎日、妻子に会いに、義父母と長女と病院へ向かう日が続きました。
次第に妻が回復を遂げます。
大きな施設のある病院へ、子が搬送された2日後に搬送された妻は、
その日から搾乳したのです。
まさしく母親の強さがそこにはありました。

胎盤早期剥離により、緊急手術をした妻も一命を取り留め、
数日前の青白い顔からは想像もつかないほどの超回復でしたが、それでも血液の濃度が半分しかありません…とか言われると、こちらが卒倒しそうでした。
糖や輸血などなど、合計すると20本弱の点滴を立て続けにしました。
足が象のように膨らんでいました。
そんな状態でも、母乳が赤ちゃんの回復に効果があると聞き、身体に鞭を打ちます。
本当に母の強さを感じました。
初めての長期の母の不在を乗り切った2歳の長女も本当によく頑張ってくれた。
そういう毎日が、一日一日過ぎていきました。
僕らにも、感情の波がありましたが、
予定された検査の結果が出るまでは、崩れない様に歯を食いしばることを強く決めたのでした。

子どもが搬送されてから、ちょうど2週間後の12日(水)、
MRIの結果を踏まえての総括をドクターから聞く日となりました。
緊張した足取りで病院へ向かいました。

ドクターは冒頭で、かなり辛い説明になる。
と話され、予想はしたものの、いざ話を前にすると、
私たち夫婦のショックは予想以上のものでした。

聞くまでは、『奇跡』を信じていました。

死を口にしたら、全てが崩れる気がしたからです。
毎日通うことも、数時間置きに妻が搾乳することも、こどもの着替えを新しいものに換えることも、身体に触れることも。

結果は、悲惨なものでした。
『回復の余地がない』
一切の希望が絶たれた瞬間でした。

予想はしていたんです。
しかし、現実になると、また辛く重いものでした。

話を聞いた後に、子どもに会うのですから。
そこに肉体が存在しているのをみると、抑えていた感情が溢れます。しかし何もできない。とても残酷なものです。

親としての僅かな期待は、なくなりました。
今は、ただ空虚な時間だけが流れていきます。

ドクターの話をきいたうえで、親として医療を閉じることができないものかを問いただしもしました。
しかし、倫理的な観点から病院は、動いている心臓を止めることはできず、越境行為であること、罪になることを聞かされました。

つまり、肉体が朽ちるのを待つしかないのです。徐々に命がなくなるのであれば認めるというのです。
現代の日本の医療の問題をそのまま突き詰められたかのようでした。
『尊厳死』と言われるものです。

一方で、ドナーとしての道についても、説明を受けます。

改めて、命がいったい何なのかを考えざるをえません。

やはり、医療という業界を越えられない語りがそこには存在していました。

問題は継続していきます。
肉体としての死を待たなければならない。
延命治療はしないが、安定はしなくてはならない。
肉体があるかぎり、医療を続けなければならない。
空虚な状態の中、見舞いにいかなければならない。(仮に行く必要がないとしても、僕らは行かないわけにいかない)

たくさんの矛盾がある中で、この医療行為が継続されて行きます。

今もかなりショックですが、継続していくことを考えるショックもかなりのものです。

このままでは、家族の身体が持たない。(特に母親が)とも、ドクターに相談しましたが、結果は全く変わらないものでした。

ドクター自身も、何もできない。きっとそういう事態なのだと思いました。

いつ来るか分からない『看取り』が来たときに、今回のひとつの終着があるのだろうと思っています。

僕たち吉田家が、元のような生活を取り戻すには、まだまだ時間がかかりそうです。

ですが、乗り越えられる未来を、今は信じています。

どうか、みなさん見守っていてください。
この一方的な報告で本当に失礼します。
そして、激励、本当に本当にありがとうございました。
くじけそうな心に活力の火が灯りました。

それから、会社のみんなには、
本当によくしてもらい、感謝の言葉しかありません。たくさん助けてもらいました。この場をかりて、お礼申し上げます。本当にありがとう。
普段、なかなかお礼が言えないのですが、
改めて友達や会社の仲間の存在に助けられているのだなと実感しています。

経過報告は以上となります。

***
なんというか、なかなかまとまりのない文章ですが、
この報告がただの報告で終わることなく、

知ってもらえることで、
同じような悲しみを事前に防ぐような知識になってもらえればいいなと思っています。

胎盤早期剥離は、妊婦には突然誰にでも起こりうる病です。
医師もなかなか事前に判断することが難しい病です。
現に妻も出産予定日を控えたひと月前まで、検診を続けてきておりましたが、
まったく問題がなく順調そのものでした。

お友達の中には、今まさにお腹に赤ちゃんがいる方がいると思います。
どうか、ぜひ注意してあげてほしいと思います。
みなさんの出産を無事にお祈りしています。

また報告させていただきます。

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