[注意]ネタバレ注意!これからコンサートに行く人は、予習したい人だけ読んでください。
この記事は、井上陽水コンサート2018 ROCK PICNICに行った著者の体験記である。
興奮冷めやまぬうちに、今のうちに記しておこうと思う。
そして、早い話、
ひとまず、僕がこれまでみたライブの中で、最高だったんじゃないだろうか。
それについて、紐解いて行こうと思います。
そして、青森でやってくれるなら、また行こう!と誓うのであった。
人口およそ6万人弱の小さな町に、ビッグアーティストがやってきた
その会場の規模も、かなり狭い。
1186人しか入らない。
東京でいうと、赤坂BLITZとほぼ同じ規模だが、赤坂はスタンディングタイプ。
こちらの陸奥(むつ)は、座るタイプだ。
たった千人を喜ばすための1日である。
なんとも、懐がでかい。
客の年齢層が高い。
お着物のご婦人もいる。
アーティストと一緒に歳を重ね的たたのだろうか。
胸の高鳴り。
に反して、一番遠くの席になってしまった。
もっと、早く、チケットを求めておけば…
後悔先に立たずである。
そろそろ見ておくべきだと、いついつから思っていただろう。
そう想いつつ、時間が経ってしまった。
しかしである、日々、成長されているであろう、そのアーティストのセンスを、晩年に見られることは、
ファンとして、とてもとても、意味のあることだと思うし、とても幸せなことなのだろうと思う。
自分が40を過ぎる頃、70を超えた人々の話が、とても面白く感じる脳みそになった。と感じた。
愛読書、暮らしの手帖に掲載される達人たちの寄稿から、それを感じた。
聞く側、見る側にも、およそセンスが必要なのかも知れない。
片道2時間90Km
東京駅を中心に例えると、房総半島は隠れ、西はもうすぐ富士のいただき。北はもうすぐ宇都宮。
そういう距離感まで行って戻ってきたことになる。青森のデカさがわかるね。
ここへ来る間も、道中、細野晴臣さんの新譜『VuJàDé(ブジャデ)』を聴きながら、きた。
海風と良く似合い、心地よい。
細野から井上
二人は全く接点がないように見えるが、、実はある。
僕がたまたま見つけたyoutube映像で、それを発見した。
それが、この二つ。
もう一つは、今はなき、あの伝説の番組『笑っていいとも!』 細野さんにつないだ人が、陽水さんであった。
齢70のお二人。
(2018年現在、陽水さん69歳、細野さん70歳)
色気のある爺さんたちである。
僕もそうなりたい。
横道にずれてしまった。
さて、今回、この僻地で、ライブをおこなってくれた、その人は、
井上陽水さんである。
なぜか、ぼくは、この人に、胸を掴まれた。
掴まれたまま、歳を重ねている。
最初の出会いが何だったか。
はて。
たぶん、少年時代だと思う。初見はTVだったはずだ。
その後ベストを購入して、虜に。
何回聴いたかわからない。
そして今に至る。
勢い余って。僕が会場についてのは開演2時間前だった。
ひとまず、駐車場に車を置いて。
会場を散策。
もう、すでにいるではないか。
熱烈ファンたちが。
ロビーの大きなソファには、背広姿の二人の中年。(背広って死語か)
きっと、仕事をほっぽってきた口だろう。(私たち仲間だな)
あとは、ペアの初老のカップルだらけ。
1Fの喫茶店には、もうそういったover60のペアだらけで、
たまにご婦人の集団。
前乗り組がたくさんたくさん。あそこにも、ここにも。
僕は、落ち着かないので、車に戻って、仕事でもするかと。
一旦、車へ。
メールをチェックしていたその時である。
なんと、陽水さま。降臨である。
はっきり言って、何もできなかった。
その時の事後ツイートがこちらだ。
高鳴り過ぎて、仕事どころじゃなくなり、
2時間前に着く始末。
駐車場で休んでいると、
そこへ
なんと 陽 水 様 降臨!
ただただ見つめるのみ?♂️
— 字と図_よしだすすむ (@suuyoshida) 2018年6月7日
でもね、心臓がばくばくというよりは、
親戚のおじさんに久しぶりに会えた、みたいな感じだった。
何もできないものだ、こういう時は。
本番前のラフないでたち。でした。
髪もそのままのふわふわで、
ジーパン姿だった(一瞬の記憶)
それからの時間は、もうずっとフワフワしていたと思う。
前日の五所川原ライブの様子を、
インスタやツイートで探しながら、
まだ1時間もあるな、などと思っていたら、
先行グッズ販売を開演1時間前から、
という情報を見つけて、
会場へ。
もう、おじさまおばさまでごった返していたが、 中には家族総出で、なんてのも。
だけども会場の動員席数が、1000人なので、
こんなもんなんなんだなと。見渡せる人数なのである。
そうそう、今回のライブの決め手は、
この人数でした。
やはり、小さい箱で見たい。
しかしながら、肝心の自分の席は、ガーン
2回の一番後ろであった。
このチケットを見たとき、本当にガーンと思った。
何この引きの悪さ。ショック。無言。
でも、買えただけいいわな。と、
開き直った。
昔、チケットを忘れて、会場で気づき、慌てて、ダフ屋から買ってこと無きを得るという体験をした
がある(筆者中学生の頃)が、今回は当然忘れ物はない。
なんなら、ダフ屋さんに、いい席を譲ってもらおうと、
意気込んできたのだが、ダフ屋さんがいませんでした。
やっぱり、規模が小さいと儲からないのかね。と要らぬ世話が働く。
(ネットでは倍になってたが。時代が変わったのかもしれんね)
もう、ロビーが老人臭で満ちていた。
しょうがないんだろうけども、やっぱり、その年代特有の化粧臭さがある。
まあ、でも、皆さんおめかししてきてるんだろうなぁと、
広い心で、忘れることにしました。
そして、いざ開場
並んでいた列が、吸い込まれていきます。
この会場で、一番残念な席なんだろうな。
そう思って、席に着いたわけです。が、
これが非常に、問題ない席でした。
抜群に、ステージが見える。
なんなら、客の動きも一緒に見えて面白い。
しかもである、今回、新兵器を導入した!
オペラグラスである!(オベラグラスも死語か)
来る前に、電気屋さんへ寄って、
買ってきちゃったのである!
買ったのはこれである
もう、これで、表情まで逃さないぜ!
いま、やたしは、この記事を、開場をまちわびながら、並んで書いている。
さて、なにが、まちうけているのだろうか。
ここからは、ライブに行けなかったファンに向けて、
陽水さんの言葉とともに、お届けしようと思う。
いよいよ開演である
会場では当然、デジタル機器は禁止なので、
ここからは、わたしの記憶である。
スタート曲は何かな。
なんだかいきなりのセッションから始まる。
と、思いきや、これは『アジアの純真』。
そして数曲があっという間に過ぎて、 4曲目の『映画に行こう』
歌の途中で、咳き込む声が聞こえた。
完成された映像や音源に慣れているせいで、
自分の耳を疑った。
だけど、それは、非常に生っぽく、
ライブそのものだった。
弱い陽水が見えた。
ある音域が出にくくなっているのだろう。
途中で、マイクから離れ、台の水を手に取る。
演奏は続く。
そして曲がそのまま終わる。
だけど詫びるようなことはしない。
会場から、支えるような拍手。
それを笑うように、
小話を始める陽水。
『ふつうエンターテイメントは、
お客様に提供するもので。その人間が、
堂々と水を飲んでいるというのは、ねぇ』
決まり悪そうに、相変わらずの陽水節を淡々と。
客は、これも求めているのである。
僕の探し物
どの曲も、始まるまでのプロローグが、アレンジされているので、
歌い出しまでわからない面白さがあるが、
だけども僕にはピンときてしまう曲があった。
陽水『次の曲は、40年前に作ったアルバムの中の1曲で、
僕が初めて自分以外の人と一緒に作った曲です。(この瞬間、もう、僕、感極まる)
後にも先にも誰かと作るというのは、これが初めてでして…
どういう風に作ったか、
もう、ほとんど覚えてないのですが、
もう一人の方も、もう亡くなってしまって…きっと、1フレーズずつ、
曲と詩をセットで、別々に作ったわけじゃなく、確かそうしたんじゃないか…と思うんです。
若い青年二人が、こたつに入って。
すごい絵ですけど…(場内笑)この頃記憶がもう、ほとんどなくて、
それで、このアルバムの半分は、
当時珍しかった海外録音で、ロンドンで録ったんですが、当時はまだ海外録音は誰もやってなかったみたいで…(場内から拍手)
笑。別に拍手が欲しいわけじゃないんですけども…おそらく、その時に買ったギターがこれです(場内どよめく)
多分、そうじゃないかなって…
もう、ほとんど、記憶が…』(場内笑)
(『帰れない二人』…演奏スタート)
この曲を作ったもう一人というのが、この人…清志郎さんである。
井上陽水と忌野清志郎が歌う帰れない二人。二人の関係性がよくわかる。
そして、この曲が、陽水さん本人にとっても重要であることがわかるVTRがあるので、ここに記しておく。
(いつまで見れるかわからないが)
この放送を見るまで、その事実は知らなかったけど、
僕の一番のお気に入りを聞かれたら、それは『帰れない二人』である。
この曲とともに歩んできた感が拭いない。
これを生で聴けた喜びは、何にもかえがたい体験だった。
そして、まだまだ続く陽水節をどうぞ。
スムージーの小話
陽水『昨日、五所川原だったんですが、
今朝早く起きまして、散歩をしたんです。
最近散歩が日課になっていまして、
家の近所を散歩するんです。
それで、あの、ホテルにもらった地図を見ながら、
賑やかな方へ向かったみたんですが、これが遠い。
もう、ひとつひとつの敷地が大きくて、
ちょっと喉が渇いたもんで、ドトールに入りまして、
帰りはタクシーでした。(場内笑)
それで、近所でも散歩するんですが、
散歩のコースで、いつも飲むのが、スムージーでして。(場内笑)
お店の看板に、3つ書いてあるんです。メニューが。
1つ目は、『エナジー』。
40代の頃は、自分も、気にしていたことがありますが、
もういいかなと。それで、2つめが『ビューティー』。
もう、これ以上美しくなってどうする。(場内笑)
…といいますか。(本人も笑いながら)それで、3つ目が『デトックス』。
というですね。
もう、この歳まで生きていますね、
もう、いろんなものが溜まっているので、それを出さないと。(場内笑)それで、店員さんに『デトックス』をお願いしたんですね。
でも、その若い女性の店員さんが、『はぁ?』
っていってくるんですね。
どうやら、わたしの声が、小さいようで。
タクシーなんかに乗ってましたら、なんか声でばれちゃうみたいで。
なーんか、井上さんですか?って言われるのが、
嫌いみたいで、いつも小声で喋るのが、癖になってるんですね。それで、もう一度、ですから『デトックス』といったんですが、
また、『ハァ?』と言われてしまって。それで、しばらくしてから、考えて見たんですけども、
どうやら僕は『どてックス』と言ってたんですね。(場内大爆笑)』
そして次の曲へと。
ブラタモリとのシンクロ
陽水『さっき聞いていただいたのが、ブラタモリという番組のオープニングテーマなんですが、
最近、ライブで行く場所が、ブラタモリのロケ地と重なることがありまして…
放送のすぐ後に、僕のライブがあるみたいな。あの弘前の会、拝見しました。
だけど、ムツは、さすがに、まだ来れてないと思うので、
僕の方が先でした。(場内笑)やっと来れました。
来たい来たいと、思ってたんですが、ついにやっと。』
ということで、あぁ、初めて来てくれたんだなぁ、と ファン想いな人だな〜としみじみ、ものすごく嬉しく思いました。
アンコールは2曲でした
『傘がない』が終わる前。
なんとも、時間というのは非常なもので…
と陽水さんも陸奥との別れを惜しんでいたのですが、
拍手の中、
『氷の世界』やってくれました。
青森にぴったりですよね。
からの、ラストは『夢の中へ』でした。
もう、ずっと聴いて痛かった…。
二日連日の青森コンサートを比べてみる
前日の五所川原に行った方のツイートを拝借する。
— タカヒロ (@precious_rosier) 2018年6月6日
一方、こちらが、わたしの行った『むつ』
わーお、当たり前といえば、当たり前だが、さすがの驚き。プロい。
これはもう、両方行くべきだったな。と…後悔。
『上海』聞きたかった。涙
まとめ
このライブを通してから、僕が陽水さんから、もらったものは『オリジナルの強さ』でした。
作品をコツコツ作ること。
そしてそれが、作ってから何年経とうが、決して色褪せない。
なんなら、褪せてもまた魅力的。
それを見て、ファン一人一人が記憶を震わされている。
なんだか、そいうことを教わった気がしたのでした。
言い換えれば、それは、消費されるものづくりの限界に気がつかされたことでもありました。
デザインとアートの境界線は、もしかすると、そこなのかもしれません。