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新一万円札【また新しいお札になったの?】おさつシティ!? 青森県十和田市でお札巡り〜渋沢栄一、北里柴三郎、新戸部稲造

新一万円札【また新しいお札になったの?】おさつシティ!? 青森県十和田市でお札巡り〜渋沢栄一、北里柴三郎、新戸部稲造

2024年発行予定の新しい一万円札の顔に決定した、渋沢栄一さん。

次のNHK大河「青天を衝け」にも決定しました。↓

楽しみですね〜。
新札のデザイン案みると、垂れ目の可愛いおっさんですが、大河ではイケメンが演じるんですね。若い頃はブイブイ言わしてたんでしょうか?

渋沢さんの半生については、大河を見ていただくとして、、。
渋沢さんは実業家。
こちら、渋沢栄一記念財団のHPでは、日本各地のゆかりの地を検索することができます。↓

日本各地にゆかりの地はあるかと思いますが、私の住む青森県十和田市にも「三本木渋沢農場」なるものがありました。
稲吉地区というところにその農場があったそうで、稲吉地区の人たちは福島県伊達市からの移住者が多く、方言も少し違います。
また、全国の鉄ちゃんたちに愛されたローカル線「十和田市観光電鉄」(現在・廃線)
この十和田市観光電鉄の社長だった方が、渋沢栄一邸で執事・秘書をしていたそうで、社長の経営する小牧温泉ホテル(現・星野リゾート青森屋)には、旧渋沢邸が移築されておりました。

2020年12月現在は、清水建築がその渋沢邸を購入し、東京都江東区へ移築工事が始まっています。

こちら、日本経済新聞の記事↓

2022年3月には移築を完了して、一般公開も予定しているそうなので、お札発行前に人気スポットになりそうですね。

同じく、2024年発行の新お札1000円の顔はご存知でしょうか?
はい、北里柴三郎さんです。
恰幅の良く、蝶ネクタイがチャーミングですね。

実はこちらの北里さんも、青森県十和田市にゆかりの地が多くあります。
北里先生といえば、破傷風の血清療法の確立(1889年)、ペスト菌の発見(1894年)で知られる近代医学の父でございます。
北里先生は1931年に亡くなられていますが、1914年には北里研究所が設立され、優れた研究者を現代まで輩出し続けています。
その北里先生の研究所が、戦後すぐ1947年に十和田市にできています。
戦後多くのワクチンの製造が必要となり、GHQからその製造依頼を受けたのが北里研究所でした。
なぜいきなり、こんな田舎にできたんだって感じですが、破傷風の血清を作るには良質の馬が必要だそうで、十和田市には戦前日本一大きい陸軍軍馬補充部があったくらい、馬がわんさかいたからです。

詳細はこちらから↓

北里研究所三本木支部は1964年に閉鎖されました。
今の北園小学校の東側の住宅地が、その跡地になります。
昔は「北里団地」と地元では呼ばれていました。

研究所は閉鎖になりましたが、1966年には十和田市に北里大学畜産学部(現・獣医学部)ができました。

大学があった場所は、その昔、野良馬が駆け回っていたそうです(昭和2年生まれによると)。今は、学生が駆け回って動物について学んでいます。

じゃあ、新しい5000円札の津田梅子さんは十和田市にゆかりがあるのかというと、残念ながら、ないのですが、現在の1000円札・新戸部稲造さんのゆかりがあります。

十和田市の開拓をしてくれたのが、稲造さんのおじいさん・新戸部つとうさんと、新戸部十次郎なのです。

新戸部記念館↓

不毛の土地と言われていた三本木に人工の河川・稲生川をひき、三本木に初めて稲穂が実ったことに因んで「稲之介」と名付けられたそうです。
こちらの新戸部記念館は、生田勉設計で、和洋折衷の素敵な
江戸時代に川を作る際に使われた工具や、イサムノグチが作った稲造のレリーフがあったり、なかなか見応えがあります。

移築前の渋沢邸→北里大学→新戸部記念館、等お札巡りをしてみてはいかがでしょうか?

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