5年前に東京から移住した夫婦デザインユニットの『字と図』の図の方(@suuyoshida)です。
これは、全く知らない土地に来てからの5年目の活動についての報告です。
特に本業ではなく、ちょっと新しい試み『課外活動』についての。
5年前の自分なら、『映画館のない町』なんて想像できなかったかもしれない。
でも本当は『映画館がない町』の方が大半だ。
なんでも揃っている都で、生まれ、育ってしまった自分には、映画館の存在は当たり前になってしまっている。
田舎と呼ばれる地域に住んで早5年で、いろいろな当たり前を知るようになってきた。
それはつまり 『東京』がいかにイレギュラーな町であるか がわかったことでもあった。
ところで、表題の件である。
この大自然豊かな町で、生まれ育った人が、主催するイベントに『是非、どうですか?』とお誘いいただいた。
彼らとは、ここ2年くらいのお付き合いになるだろうか。
お互いの共通友人宅で、知り合った。
当時、彼らは、これから地元で珈琲屋をやると言っていた。
その名も『自遊木民族珈琲』(じゆうぼくみんぞくこーひー)。
そしてその町というのが、青森県の『野辺地』町である。
映画のタイトルそのものが、イベントのコンセプト
上映された映画は『カレーライスを一から作る』である。
「探検家・関野吉晴の途方もない課外ゼミ 種まきから始めた9ヶ月の記録」…副題を見れば明らかだ。
ミスター・グレイトジャーニー関野さんの映画である。
昨今では、民放のTV番組『クレイジージャーニー』*1の記憶が新しい。
番組では、古代の船で海に出るのだが、その前に木を切り出すための斧を砂鉄を集めるところから行う様が、紹介されている。
この映画は、つまり、それの『カレーライス版』である。
つまり、文明社会の麻痺を、一旦疑い、根底から、一歩一歩ただひたすらにやってみる。階段を一歩ずつ登って行くのである。
タネをまき、原料を作るところから…
まさに、これはデザインそのものであると言える。
デザインとは、一度分解して再構成してみることなのであります。
ちなみに、関野さんは、武蔵野美術大学の先生でもある。
生徒超羨ましいぜ。とデザイナーである私は思うのでした。
主催者の独自視点で集められたツワモノ出展者
『自遊木民族珈琲』が集めた出展者は、16団体。
日頃から、接点のある方達なのだろう。
しかしながら、青森のいたる地域で活動する手練ればかりである。
カフェ、農家、インド料理屋、クラフト作家、造形作家、音楽家、古道具屋、せんべえ屋、ロウソク屋、石鹸屋…
中には、もう一口では説明できない、もはやその存在自体が職業のような人も。
その人、余市さんがこのイベントに寄せた想いが、
コレです。
お前さん、
自分が食うもの、
自分が着るもの、
自分が住むもの、
それらにもっと興味を持ちなさい。
それらの製造と用法を習得することは間違いなく、
生命としての強さにつながるのだから。
恐れるべきは無知であるお前さん自身だ。
たとえそれらを災害や戦争、略奪やらですべて失ったとしても、
またお前さんの力で作り出せる。
お前さんが元気で、自然が豊かであれば。
そこに仲間がいれば最高だね。
そしてその仲間たちと新しい時代を切り開いていくんだ。
(まだ見ぬこどもたちへ/まだまだ全然習得中のおじさんより)
主催者曰く『余市さんが代弁してくれた』と言っていたこのメッセージが、
まさしくこのイベントで伝えたかったことなのだと思います。
この手練れの中でデザインで何ができるか
手練れ、玄人もしくは猛者。
ここに参加する出店者たちを敬って、そう表現したくなる。
地に足をつけているように感じられる人たちばかりだ。
今回の話をもらったひと月前、僕らは非常に悩んだ。
実は、当日が、子供の運動会になる可能性があったし、軽い気持ちで参加するのは失礼だし、何より非常に忙しくもあった。
…しかしである、やったことないのないこと…好きなのである。
クリエイティブ職と呼ばれている人が、
クリエイティブでなくて、なんなん?と、自らを叱咤したわけである。
それでだ。
考えた。
前々からやろうと話していた事を思い出したのである。
そして、実験してみればいいじゃん!と思ったのであった。
僕らが今後やっていきたいテーマの中に、
1. こどもたちにデザインの視点を植え付けたい
2. 一般人(非クリエイター)にデザインの視点を知ってほしい
がある。
これらを、日常業務でこなすのは難しいので、課外授業でやっていきたいというのが理想像である。
今年は、その機会に恵まれたのだと思い込むことにした。
実際、今年の3月には、こどもたちにデザインのワークショップを開催することができた。*2
続く第2回めは、『2』の機会にちょうどよさそうだなと…。