雑記

【00】デザインの翻訳者になりたい

デザインの翻訳者になりたい、と僕(@suuyoshida)は思っている。

このように言うと、いろいろ語弊があるかもしれない。

 

翻訳が必要なデザインなんて、そもそも用を成していないのではないか、と。

するどい。

wilhei / Pixabay

 

それでも、デザインにはあらゆる翻訳が必要だと、僕は思っている。

 

特に、デザインに触れてこずに育ってしまった大人たちや、

これから触れる子どもたちに、その翻訳をしたいと思っている。

それにまず、これほど耳に馴染んだデザインと言う言葉なのだが、

受けとる人によって、その印象は様々だからである。

 

・ 服飾業界の意味で捉える人

・ 絵を描くんだよね、と思う人

・ なんだか胡散臭いよね? と感じる人

・ アーティストでしょ?

などなど…

 

間違っていないかもしれないけども、

核心をついてはいない。

もはや、デザインという単語が、一言では言い表せないほどの意味を持つ言葉になってしまっているのだが、

 

その便利な言葉は、

人類にとって、必要な『行為』である事には間違いない。

 

デザインとは行為、なのである。

デザインとは行為、なのである。

 

重要なので、2回言いました。

 

Sid74 / Pixabay

 

そして、「人類にとって」…は、けっして大げさではない。

 

身の回りを眺めて見て欲しい。

 

実はあなたのまわりは、デザインで埋め尽くされている。

人間が生活する環境の中で、デザインされていないものを見つける方が、実は難しい。

 

身につけているもの、食べるときに使うもの、

今手にとって見ている端末、家具、引き出しの中にあるもの、

お風呂、家、睡眠に必要なモノ、移動する手段、

…あらゆるコトモノにデザインという行為が宿っている。

 

その行為であるデザインのことを、

僕はもっともっと、

みなさんに知ってほしい。と思っているのである。

 

そして、この行為であるデザイン

知ることで、

使うことで、

 

とても面白いモノの見方や視点を、

誰もが持つことができるようになるのである。

 

誰もが。である。

 

つづく

 

 

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